真夏の夜の夢



闇。
あたりは漆黒の闇に飲まれている。
世界が闇で充満している。闇と闇と闇と。闇しかない。
水滴が滴る音がする。しかしそれは本当に水滴か? 磔刑に処された死骸から流れ出る血ではないか?
鳥がはばたく音がする。しかしそれは本当に鳥か? 闇に舞い遊ぶ悪魔の翼ではないのか?
反響する自らの足音。しかしそれは本当に己のものか? 後ろからつけてくるなにかの足音ではないのか?
今なにか蠢かなかったか? 今聞こえたのは息遣いではないか? 今何を踏んだ? 誰と手をつないでいる?

今、考えている私は、本当に私か?


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「真紅」
「……な、なんなのだわ。ジュン」
「指が痛いんだけど」
呆れたようなジュンの指摘に、真紅はあわてて彼の指を握る力を緩めた。
「あのさぁ」
「な、なぁに?」
「もしかして、お前、恐いのか?」
呆れた調子を変えずにジュンが訊いた。真紅は顔を赤らめた。
「そ、そんな訳無いのだわ。私は、ほ、誇り高きローゼンメイデンの第五……」
「はいはい。わかったよ」
手に持つ燭台を揺らして、ジュンが真紅の言葉をさえぎった。予想通りの反応だったのだろう。
「そ、それにしてもジュンは落ち着いているわね。怖くは無いの?」
「ああ。肝試しなんか子供騙しさ」

そう。
真紅とジュンは肝試しをしているのだった。
場所は一葉の『薔薇屋敷』。
提案したのはのりだ。金糸雀を加えた面々(ジュンは通販)でお菓子を食べていると、ふとのりがこういったのだ。
――「そういえばもうすぐ夏ねぇ。夏といえば海と肝試しよね」
真紅が怪訝そうにのりに尋ねた。
――「のり。海は知っているけれど、キモダメシとはなんなの?」
――「その質問には真紅! このローゼンメイデン一の頭脳派! カナもがもぐぁ!」
――「チビかしらは黙ってろですぅ。雛苺製のクッキーでも食べとけです」
――「ヒナのとっちゃやなのっ! すいせいせきのスコーン、とっちゃうのよ!」
――「あっこら、ちびちび! そ、それはジュンのためにとっておいたものなのですよ……!」
――「翠星石、本音が出てるよ……」
――「あなた達、少し黙りなさい! それで? 肝試しとはどういうものなの? のり」
真紅が再び問うと、のりは考え込んでから答えた。
――「そうねぇ。怖いところを二人で進んで、その二人の絆がとっても深まるイベント、かしらねぇ」
――「それですぅ! それを翠星石とジュンがやっちまえばジュンとの絆も深まって真紅との差を一気に広げられるです! ざまーみやがれですぅ!」
――「モノローグだだ漏れだよ、翠星石……」
――「ヒナもーっ! ヒナも、ジュンと遊ぶの!」
――「かっ、カナを仲間はずれにする気かしらぁっ!?」
――「チビチビ揃ってうるさいですぅ! これは翠星石オンリーイベントなのです!」
――「そう焦るものでもないわ、翠星石。私には余裕がいくらでもあるのだから」
――「あらあら真紅ちゃん。自慢げねぇ」
――「話が進んでないよ……」
蒼星石の指摘で、会話が軌道修正。全員が椅子に座りなおした。
――「みんながジュンくんと肝試しすればいいんでしょ? くじ引きで順番きめなよ」
のりがいそいそと割り箸を取り出す。
――「じゃあ、いっせーので、で引いてね!」
――「準備がよすぎるわ、のり」
――「たしかにびっくりだね……」
――「それじゃ引くです!」
――「いっせーので!」

そして、真紅が一番初めになったのである。
「そんなことよりこんな事をあと四回も繰り返さなきゃならないって事でうんざりだよ」
「とても楽しみにしている子もいるのだわ。そういってあげないで頂戴」
「誰だよそれ……。雛苺とかか?」
「いいえ。訊かないで頂戴。私が答えられるものではないわ」
「なんだよそれ……」
ぶつぶつ言いながらジュンは歩を進める。彼は幼少時ここで遊んだことがあるため、道を知っているのだ。
ジュンがドールズと一緒にいる表向きの理由は道案内である。
「階段上るぞ」
「ちょ、ちょっと待つのだわジュン。………」
怪訝そうなジュンが真紅に燭台を向けると、真紅は両手を合わせてもじもじしていた。
「て、手を繋いでほしいのだわ」
「……怖いならそう言えよな」
そういってジュンは無造作に真紅の腕を掴むと、さっさと階段を上り始めた。


「ふう。ここでいいのか? なんか姉ちゃんの言ってる事、よくわからないんだよな……」
大きな扉の前で、ジュンは立ち止まった。
真紅は不安そうに周りをうかがっている。
ギギィ……
ひとりでに開く扉の出す音に、真紅がびくりとする。
慌てたようにジュンの足を掴もうとし、プライドからか躊躇い、しかし再び鳴り響く不気味な音に耐えられなくなってジュンに抱きついた。
「お、おいっ。歩けないだろ、真紅……」
狼狽しながらもジュンがそう言うと、真紅はしぶしぶ身体を離した。
「じ、ジュン。手を繋いで頂戴」
「仕方ないなぁ……」
ぎゅっと指をつかんでくる真紅。ジュンは肝試しとは別の意味でドキドキしていた。
半開きになった扉をジュンが開けると、冷えた空気がとろりと流れ出てきた。
「ひぃ」
「落ち着けよ真紅……。ていうかそもそもお前ら寒さとか感じるのか?」
「怖いのだわ怖いのだわ……。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
「なんで念仏なんだよ! それ御祓い用じゃないって! というか本来ドイツだろ!」
「あ、あああ悪霊退散……。神よ、我を守りたまえ、アーメン」
「混乱しすぎだよ! そもそもキリスト教に悪霊はいないよ!」
「ジュン! ほら見て。蝶々よ。美しいわね」
「幻覚かよ! いないよチョウチョなんて! やばいよお前!」
「トリップかしらー。うふふ、うふふ」
「壊れてる壊れてる! 語尾間違えてるから! おいっ、真紅!」

「うるさぁい。誰なのぉ?」

二人が喚き合っていると、扉の奥の部屋から聞き覚えがあるような猫撫で声が聞こえた。
「なっ、この声は……」
「ひぃいい! お化けですぅ! 許してかしらー! 幽霊なのー!」
「だから! ごちゃごちゃだから! 落ち着けって!」
精神状態が不安定な真紅。そんな真紅をドアの陰に隠してジュンが部屋へと足を踏み入れる。
「なぁに? 真紅のミーディアムじゃない。貴方だけ? 真紅の声はしなかったけどぉ」
そこは食堂のようだった。ぼんやりと、十数本のろうそくが室内を照らしている。
長い長いテーブルの、一番奥。そこに水銀燈がだらしなく座り込んでいた。
なにか銀色のものをを抱くようにして座っている。
「水銀燈。なんでお前がここにいるんだ?」
「どうでもいいでしょぉ。それより貴方こそなんでこんなところにいるのよぉ」
「それは……」
「アリスゲーム……、じゃないわよねぇ? 真紅がいなければ貴方だけじゃ何も出来ないもの」
「違う。あと真紅は……」
「ちょっと待ってぇ。せっかくだから紅茶でも入れるわぁ。掛けなさいよぉ」
「話を聞けってば……」
ため息をつきながらジュンは一番近い席に座った。真紅は目を瞑って耳をふさいで隙間に体を押し込めている。
「遠いわよぉ。紅茶をそっちまで持っていくのは難儀だわぁ。もっと近くに座りなさぁい」
抱いていたポットからカップに枯葉色の液体を注ぎながら水銀燈が彼女のすぐ近くの席を示す。
「わかったよ……」
立ち上がり、水銀燈のそばに近寄っていくジュン。紅茶の香りが漂ってくる。足音は絨毯に吸収されて、無い。
途中テーブルの上にあった砂糖とミルクをつかんでいく。
「ほらぁ。上手に出来たわよぉ。のみなさぁい」
「いただきます……」
椅子に座ってカップを受け取る。注がれた紅茶は特に怪しいところは無いのだが、むしろ非常に薫り高く美味しそうなのだが、ジュンは口をつけない。
(なにしろ水銀燈だ、何が入ってるかわからないぞ……)
「私もお代わりするわ。この部屋は寒くて、紅茶でも飲んでいないと凍えてしまうのよ」
「確かに冷えた部屋だな。もう夏だっていうのに……」
水銀燈のそばに置かれていた空のカップに、紅茶が注がれる。それを一口飲んだ水銀燈を見て、ジュンは驚いた。
(飲むのか! ということは罠なんかじゃないってことだ……)
(そもそも、罠なんか張る必要が無いんだ。それに水銀燈が今日僕がここに来ることを知っていたとは思えない)
そう思いつつジュンは紅茶に砂糖とミルクを入れた。
「あ……。掻き混ぜるものなんて、無いよな?」
ジュンが問いかけると、水銀燈は目を眇めてジュンを見た。
「剣ならあるけどぉ?」
「お前に聞いた僕がバカだったよ。……どこかにスプーンくらい無いのか」
ジュンが立ち上がって戸棚をあさりだすと、水銀燈が気だるそうにいった。
「そこよぉ。左から二番目の戸棚の引き出しにあるわぁ」
水銀燈のいう場所を探すと、スプーンは簡単に見つかった。
(なんだよ、知っているなら最初から言えよな)
(……けど、教えてくれたってことはありがたいか)
座り直して紅茶を掻き混ぜる。
一口紅茶を含むジュン。やはり、美味い。

「……病気というのは」
「え?」
「どうしても治らないものなのぉ?」
ポットをどけて片膝を立て、それを両腕で抱く。そこに顔をうずめながら水銀燈は独り言のように尋ねた。
「何言ってるんだ? 水銀燈、お前病気になったのか?」
「違うわよぉ。人形は病気になんてならないわぁ。だから聞いてるのよぉ」
「ならないのになんで知りたがるんだ?」
「そんなこと、どうでもいいじゃないのよぉ。ほらぁ、教えなさいよぉ」
「わ、わかったよ。だから剣を仕舞えよ……」
精一杯身を反らして突きつけられた剣から離れようとするジュン。
妖艶に笑って水銀燈が手中の剣を還元させた。安堵の息を吐いてジュンが体を戻す。
「治らない病気ってのも、あるよ。医療技術が進歩しても、治らないものはある。だけど、技術の発展は、少しずつその不治の病ってのを減らしてってるんじゃないのか」
「そうなのぉ? じゃぁ、病気が治るって、うれしいこと?」
「何言ってるんだよさっきから……。病気が治るのがうれしくないことなんて、無いだろ」
「そうよねぇ。……じゃあ、めぐもきっと、治れば喜ぶわぁ」
「え? なんて言ったんだ?」
「何も無いわよぉ。ほらぁ、紅茶を飲んだらさっさと帰りなさぁい。それとも水銀燈と寝たいのぉ?」
「なっ、お前、ほんと訳わかんないやつだな! 帰るよ!」
急いで立ち上がり、ほとんど走るようにして扉へと近づく。
扉が震えている。真紅だ。
「ほらッ真紅、いくぞ」
「一つ積んではお父様のため、二つ積んでもお父様のため……」「お前何言ってるんだ!?」
ぶつぶつと呟く真紅の腕を引っ張って、ジュンは駆け出した。
急いで走ったから、聞こえなかった。
「ありがとぉ」
水銀燈のその声は。


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「あら、水銀燈。なんだか機嫌がよさそうね」
病室の窓に降り立った水銀燈を見て、めぐは微笑んだ。
「別に。……………。ねぇ、めぐ。貴女の病気を治すにはどうすればいいの?」
「突然どうしたの、水銀燈。私の病気は、もう治らないのよ?」
「いいえ。ぎじゅちゅのハッテンがめぐの病を減らしてるの。だから治らないなんてことは無いの」
たどたどしい言葉と、無意識下の励ましにめぐは微笑ましくなる。愛しくなる。
だから、言う。
「ありがと、水銀燈。貴女がいてくれるだけど、私はそれだけで元気になれるわ」
「何を言っているの?」
「だって貴女は……、」
めぐの枕元に舞い立ち、凛として、しかして儚い水銀燈は――

「――天使様だもの」

ゆっくりと、微笑んだ。





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