なんだ――あれは。
教室の窓をブチ割って破砕音を引き連れて派手に登場したそいつは大量のガラス片とともに着地、同時にそいつを挟んだ机に座っていた2人のクラスメイトの首筋から赤黒い液体がほとばしる。
まだ誰も反応できないうちにそいつが跳躍、机を蹴り飛ばし回転、黒板の前に立っていた先生めがけて再度の跳躍。
「な、なん―――」
先生が発言できたのはそこまで。
ごづんっという鈍い音を立てたのは黒板に叩きつけられた先生の頭蓋骨。どんな豪力なのか、ごしゃっという音は体内最硬度を誇る頭蓋骨が砕けた音か。
……なんだあれは。
僕らの理性がようやく本能の警鐘を理解する。先ほどから絶叫していたらしい僕らの本能が告げるのは生命の危機。
教室前方に座っていたクラスメイトの3,4人が首筋から血を――そう、それは血だ! ――噴き出して倒れる。同時に黒板にべったりと脳漿をへばりつかせながら先生が床へと落ちる。
ガタガタァンと椅子を蹴る音。言葉にならない声が教室を満たす。
「どうかしました――かッ?」
隣の教室から様子を見に来た別の先生の頬になにかが突き立つ。
事態を把握できていない先生の懐にそいつが目にも留まらぬ速度で滑り込み、その勢いのまま先生の胸に右腕をブチこむ!
衝撃のままに先生は吹き飛んで廊下の壁に激突、崩れ落ちる。
血塗られた右手で服のすそを直すような素振りを見せるそいつの姿に一気に教室が叫喚地獄へと叩き落される。
どッと教室から逃げ出そうとするクラスメイト。
「あはははははははははははははッ!!」
心底楽しそうな笑い声が後ろから迫る。
泣き喚くクラスメイトに突き飛ばされて僕は床に投げ出される。
その僕の上を軽く飛び越えてそいつが人海に吶喊。空中でどうやったのか、くるりと一回転したそいつの右足がクラスメイトの1人の頭に激烈な勢いで落下し、その反動のままにさらに水平回転して周囲の人間を蹴り飛ばすっ!
着地なんかせずにそいつがボトルキャップ現象を体現中のクラスメイト数十人の肩の上を身を低くして駆け抜ける。
飛び降りながら回転したそいつが着地すると出入り口に群がっていたクラスメイト全員が首から血を噴き上げて倒れる。
運良く廊下を逃げていくクラスメイトが唐突に倒れる。その首から血がどくどくと流れ出して赤い沼を作り出す。
「あはははははははッ! オレから逃げようなんて出来るワケねーだろォがぁーッ!!」
累々と倒れる人間の中心に傲然と立つそいつが黒い髪をなびかせて呵々大笑する。
そこでようやく僕は気づいた。
僕を除くクラスメイト全員を1分足らずで惨殺したそいつは、まぎれもない、少女、であったのだ。
2つにくくった髪をいじっていた彼女は、ん? と顔を上げる。
にたァと唇を歪めて、こちらを―――見た。
――見つかった。
「あははははははははッ!」
笑い声がしたのは背後!
僕が隠れていたのは教卓の中。背後をふさがれると逃げられない。
「う、うわぁ」
我ながら情けない声で教卓を中から倒して少女にぶつける。軽く飛んでそれを避けた少女を見ずに僕は教室前方の出入り口へ駆ける。
廊下へ出てとっさに扉を閉めるが瞬時に木とガラスを滅茶苦茶にして彼女が廊下へ着地。
僕は悲鳴をこぼしながら隣の教室へ転がり込む。
教師がいなくなって遊んでいた生徒たちを無視して教室の前方へと急ぐ。
激しい噴射音とけたたましい笑声が後ろから聞こえるが必死で無視。
教室が血塗れになる前に再度廊下へ飛び出し、一目散に階段を目指す。
階段の手すりに手をかけると同時に背後で着地の音。
少女が床を滑っているうちに僕は床を蹴って踊り場へ着地、さらに床を蹴って1階へと―――
ずだん!
空中で、頭を掴まれたかのように後ろを振り返る。血に濡れた笑み。
踊り場の壁に着地した少女がこちらを見て笑っている。裂けたような三日月から犬歯がのぞく。
きりもみ回転しながら壁を蹴った少女に釘付けになっていた僕は着地に失敗、砂で汚れた床に転がる。
転がった僕の100ミリ向こうを少女の死神の手が通過していく。
一瞬だけど僕はその指が鋭い刃をつまんでいるのを、見た。
少女が猫のように着地。
床を掻いて走り出す僕の前方にはグラウンド。そして体育の授業中の生徒。
「あはははははははッ!!」
けたたましい笑声に34人の生徒が振り返る。
人の間を縫って走り抜ける僕。後ろから迫る死神。
土を蹴って振られた左手が女子生徒の首を掠め、跳びこむような体勢のまま空中で水平回転。
ムチャクチャだ。
この少女には物理法則という常識が通用しないのか!?
どッと吹き出した血を一滴も浴びることなく次の標的へ飛びかかり、回転し、死をばら撒いて校庭を駆け抜ける。
僕は裏門を越えて、なんとか学外へ逃げ出していた。
平和な日常が背後から崩壊していく!
駅前の通りを必死の形相で走る僕を人々は奇異の瞳で見つめるが、誰も関心を示さない。
細い路地に駆け込む。
そうっと通りをうかがった僕は、そこに地獄を見た。
魔風となった少女がアスファルトを蹴りつけて両手を一閃。街灯に着地してさらに跳躍。どずんと主婦の胸を貫いた右腕をその死体に着地し蹴り飛ばすことで抜き放ちその勢いのまま水平回転で周囲の人間の頚動脈を切り裂く。
最初の一閃でのどをえぐられていた2人を蹴り倒すその反作用で未だ衝撃で揺れる街灯へと飛びつきぐるっと回転しながら頭頂部へ登りつめる。
……一度も着地しないまま6人を瞬殺。
ぎッと街灯を軋ませて、僕が潜んでいる路地を挟む建物の屋上へと飛び移ったらしい彼女ははるか上からこちらを見下ろした。
逆光でぜんぜん顔は見えないけど、わかる。
――笑ってる。
まるで散歩に出かけるような気軽さで少女が宙に一歩踏み出したかと思うと、力強く壁面を蹴って走り出した。
下へと。僕へと!
落ちるよりもさらに早く、一切の躊躇なく垂直面を疾駆する少女に僕の恐怖は否応なく冪乗される。
汚い路地を逃げ出した僕。
ずだん! と空気を絶叫させて、物理法則を冒涜するかのように反対側の壁に着地した彼女を涙目で捉えながら僕は角を曲がり細い道を駆け抜ける。
重力など知らないかのように壁面を走り、再び壁に着地する音が耳に届く。
僕はゴミバケツを飛び越え、クーラーの室外機を踏みしめ、空ビンを蹴飛ばして走り続け、ようやく表へと飛び出た。
駅前だった。
「はははは……」
笑いがこみ上げてくる。もう笑うしかない。
「あははははははははッ!! 鬼ごっこはオレの勝ちのようだなぁ?」
鋭いステップを踏んで悪魔のような笑みの少女が舞う。くるりと回転してブーツがアスファルトを噛み、低く沈めた上体をぐいとねじる。
限界まで溜め込まれたバネが爆発し、低空を跳ぶ少女が全身で回転。竜巻のような円舞が続いていく。
1人2人345678910人。
首から手首から太ももから血を噴き出しているのは少女の持つ小さな小さな死神の鎌、ギターを弾くピックのような刃に切り裂かれた人たちだ。
駅前を通過していた人間全員が標的の殺戮。平和な日常が舞台の殺陣。
脳髄をアスファルトにぶち撒けたサラリーマン。肋骨をへし折られて心臓を破壊された主婦。頚骨を折られた子供。人形のように壊されて人間が死んでいく。
尻に帆をかける人々の前方へと跳躍した少女が着地。
右手が1人2人、左手が1人、さらに右手が翻って2人。反転しながら左手が2人。首筋を切り裂かれた7人がどうと倒れる。
恐怖に顔を引き攣らせながら反転して逃げ出す4人。
1人が背中にドロップキックを受けて背骨を折られて倒れ絶命。両手が振られ、投擲された極小の刃が2人の腱を切り、倒す。
一方の頭蓋骨を着地しながら踏み砕き、もう一方の胸骨を掌底で割り、内臓をぐちゃぐちゃにする。
少女が死体を蹴って残る1人の頭を掴む。空中から体重を乗せてそのまま頭蓋骨をアスファルトに叩きつけ、粉砕!
すたっと少女が着地。同時に周囲の死体から一斉に血が吹き出す。
「おーしまい、だ!」
硬直していた僕の後ろで、少女の楽しげな声。
僕が振り返る前に胸を貫く衝撃――僕の視界が急激に闇に沈んでいく――最後に見えたのは血に塗れた少女の腕。
モニターが血塗れの腕を最後に砂嵐しか映さなくなる。
俺は言葉を無くしていた。
ミス・ミシェルが椅子を回転させて立ち上がった。
「これが我々の最新兵器です。今の映像はたかがシュミレーションですが、だいたい実際も同じ働きをすると考えていいです」
「なんだ――これは」
俺が口にできるのはそんな中身の無い問いかけ。それでもミス・ミシェルは律儀に答えてくれる。
だがその口から紡がれるのは歴史を覆す言葉。
「クロプツフェル力学単体兵器――その一号機です」
「クロプツフェル、力学……?」
聞いたことが無い。俺が知っているのはニュートン力学だけだ。
「そうです。ニュートン力学とは異なる物理法則の総称です。クロプツフェルというのは二十世紀初期にニュートン力学を否定し新たな物理法則体系を提唱した学者です。
異端とされ、アカデミズムから追放され、蔓延していたオカルティズムと混同され神学界からも迫害され、記録にも残っていない学者ですけどね。
唯一の弟子が軍閣研究部に拾われてその独特の力学を利用されたのですよ。この国はまだ世界征服の夢を捨てていないのです。
一歩でも現代から先行するためには手段を選ばない……愚かしいですね。
ただ私は興味深い分析素体を与えられて嬉しいですけども」
いつもは淡々としてるこの女性がやけに饒舌だと思ったらこれ感情表現だったのか? 喜んでるんだ……。
って、そんなことに驚いてる場合か!
クロプツフェル力学? なんだそりゃ。ニュートン力学を否定した物理学ってそれ、おいおい、物理学の歴史を塗り替えるんじゃないのか。古典物理学の基礎はほとんどニュートンが築いたようなものなんだろ?
だいたいニュートン力学とは異なる物理法則っていったいどんな法則なんだ?
「基本的に@作用反作用の法則A慣性Bエネルギー保存則C運動量保存則、の四つが存在しません。
弟子曰く『マンガ物理学じゃないかと揶揄された物理学』で、まるで冗談のような話ですが、さきほどの映像を見てもらえれば納得するでしょう?
私が端的に説明するとしたら『量子力学とニュートン力学のあいのこ』でしょうか。
公式や法則などの理論面はクロプツフェル一人で組み上げたようで、弟子が再構築しているのが現状です。
この一号機はその弟子が理論再構築と並行して創りあげた個体でですね、身体操作に重点を置いた近近距離レンジというところが私としては気に入っていまして……」
無表情に嬉々として語りだしたミス・ミシェルを失礼ながら丁重に無視して、俺は思考に没頭する。
この一号機がもし量産されたとして、電撃戦に起用されればいかほどの戦力となるのだろう。
奇襲、遊撃、不意打ちにとどめ、なんでも使えるんじゃないのか。
そうなったらまさしく世界征服だ。列強国を軒並み滅ぼして君臨できてしまう。この研究は完成すれば第三次世界大戦を呼び起こすぞ!
眉根を寄せて世界の危機を危惧している俺に気がつかずにミス・ミシェルは話し続けている。
「――軍閣研究部が総出で造ったプロトタイプは見事に失敗しました。やっぱりあんな象牙の塔に閉じこもっている連中ではダメですね。着目点はなかなかだと先輩も言っていましたが、見識が狭いというか、あれは素体のレヴェルに技術が追いついていない感じです」
この白い女はなぜこんなに楽しそうなのか俺には理解できない。
俺の予想は杞憂なのか? 核平衡でなんとか保たれていた武力による平和はこのクロプツフェル力学とやらでお終いになってしまうことはないのか?
「そういえばDEXを覚えていますか? 二ヶ月ほど前にあなたが倒した機械兵士ですが。――ええ、そうです。DEXとそのプロトタイプが模擬戦を行った記録がありますよ。見ますか?」
白髪に白衣のミス・ミシェルが数多あるモニターのうち一つを引っ張ってくる。
俺はとにかくクロプツフェル力学について知るためにそのモニターに目を向けた。
DEXと、――ワイヤー?
<MACHINE VS PROTOTYPE>へ続く
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