純潔の貴女
こんにちは。
私は、魔界に名立たる美しき城カーリターティスの管理人兼メイド長兼世話役です。
この城が美しいと讃えられるのは荘厳かつ流麗ながら見る者に華奢で繊細な印象を与える輝灰銀細工と水晶膜による、一枚の絵画のような外観はもちろん、内部の水蝋装飾や天井画が外観に負けず劣らず見事であり鮮やかでありそれでいて落ち着いた雰囲気を創り出すからでしょう。
広大なこの城を、水と風の力によって常に美しく保っているのは不肖私ですので、そのように評価されると非常に喜ばしいものです。
さて、目下私の悩みとなっているのは城と並び称される華美なる七罪が一つ、色欲の魔王であり、私がお世話させていただいているアスモデウスお嬢様のその堕落ぶりです。
その堕落ぶりたるや目を覆いたくなるような恥ずかしいものですのに、お嬢様ときたら私がいくら改善するように説いても無関心で生活を改める兆しもありません。
今から私はお嬢様を起こしに参るのですが、時刻はすでに昼といっても良い時間です。朝食はまた炉妖精たちの餌になってしまいました。
「失礼します」
ファルニア樹製の扉を開けると部屋を満たしている陽光。
私は衣服やら書物やらクッションやらで雑然としている部屋を眺めてため息をついてから、それらを踏まないように(それは非常に難儀なことでしたが)天蓋付のベッドへと歩み寄りました。
薄紗を静かに開けます。
「お嬢様。そろそろお目覚めになられたほうがよろしいかと思います。もう日も高く昇っています」
そう告げ、豪奢な絹と羽毛の布団をゆっくりとめくります。
が。
「お嬢様?」
アスモデウスお嬢様はそこにはおられず、そもそもベッドには寝た痕跡もないのでした。
私はまたため息を一つついて、
(……またですか)
薄紗を戻し、きょろりと室内を見回しました。
遮幕に覆われた姿見、人形が停止しているオルゴール、手編みのタペストリー、もうすぐ正午をさす振り子時計、大きなテディベア、放り出された室内靴、黒光りする高価な衣服、山積みされたいくつものクッション、……。
発見です。
私はクッションの山からぽいぽいとクッションを下ろしていきます。
赤い髪が見えてきました。
私はさらにクッションをのけます。いったいいくつあるんですか……。
「む……。ふが」
ルビーでできた細糸のような髪がざんばらになってクッションに埋まっています。お嬢様はクッションの山に頭から突ッ込んでうつぶせで寝ていたのです。
「お嬢様。起きてください」
「むぐ。んむう?」
ばたばたと手がクッションを叩きます。ぼふぼふと。
「お嬢様」
「んう!」
ぼふぼふぼふぼふ。
「お嬢様!」
仕方がないのでお嬢様を仰向けにしてさしあげます。
「ふい? あ――――――」
まぶたを半分だけ開けて、お嬢様がお目覚めになられました。
「おはよう?」
上体を起こしてとぼけたように挨拶するお嬢様。
「もうお昼ですので「お早う」ではございません」
「こんにちは、かしら?」
「こんにちわ。良い天気ですよ、お嬢様」
お嬢様は金と紅の瞳で部屋を漂白する陽光をとらえ、にっこりと笑われました。
「気持ちの良い目覚めね。朝は眩しくてこうはいかないでしょう?」
「私が起きるのは夜明け前ですので」
「昨夜は月がきれいだったから、つい一人で乾杯しちゃったわ」
寝ぼけているのとは違う、とろんとした双眸で宙を見つめ、グラスを掲げる仕草をするお嬢様。
「これ全部お一人で飲まれたのですか……」
ワインボトルが十数本、窓際に転がっています。なるほど。
悪酔いしないタチのお嬢様も、これだけ呑めば目もとろんとするはずです。
「ね。編み直してくれない? 髪」
「はい」
化粧台に座ったお嬢様の後ろに立って私は、まずその三つ編みを解きます。
たとえ一晩ひっつめたままであろうと、つややかさとしなやかさを失わない極美の紅髪。
どんな高級布も届かない滑らかな手触りは、私の背筋をなぜかぞくりと震わせます。
鏡の中のお嬢様はやすらかに目を閉じて微笑んでいて、その端正なかんばせは鏡を経てなお私を惹きつけるのです。
美しい。
他の誰よりもこの言葉が似合います。
この城ですらお嬢様という百合の花を飾る引き立て役に過ぎないのです。
私はなかば恍惚としながら髪を編みなおしました。
「ありがと。さって、着替えますかー」
おもむろに立ち上がったお嬢様からすとんと衣服が、落ち、まし――た。
え?
あまりのことに思考停止している私の目の前には白磁の肌をさらすお嬢様。髪の赤と肌の白が見事なコントラストを演出し、背中から腰へと流れるラインが――
「おッお嬢様!?」
あまりに衝撃的な描写にすっとんきょうな声を上げてしまう私。顔面の温度が急上昇しています。
「どうしたの? 真っ赤じゃない。風邪ひいたのかしら……」
そう呟くお嬢様の顔が急接近し、私のひたいと自身のひたいをくっつけます。
ち、近いです……。
伏せた瞳を覆う長いまつげも、すっと通った鼻も、紅のひかれていない唇も、完璧な角度のおとがいも、いつもよりずっとよく見えます。高名な彫刻家が命を削って生み出した至高の傑作よりもなお美しいそのかんばせ。
それに、とてもいい匂いがします。これぞ七罪といえる、誘惑の色香です。
くらくらするような、――
「お、お嬢様。その辺に服を脱ぎ散らかすのはおやめください」
我に帰った私は、我を忘れていたということに焦りを感じて、それをごまかすように慌ててお嬢様に注意します。
えー? という顔をしながら離れていくお嬢様に安堵し、いつも言っているような忠言を申し上げます。
「それから、ゴミはゴミ箱にお願いします。遊ぶのは結構ですが、後の始末くらいはご自分でなさってください。片付けられない女と笑われてしまいますよ」
必死に冷静さを取り戻そうとする私にかまわずお嬢様はいつもどおりの反応です。
今は私もそれを気にしている場合ではありません。頬が赤くなっていないか心配で仕方ありません。
さりげなく退室しました。急いで。
それからお嬢様がどうされたかというと、整理整頓をしっかりするようになったのではもちろんなく、
「サタんところに泊まってくるから、心配しないでね」という書き置きを残してサタナエル様のところへ連泊されています。
今からサタナエル様のところへ様子を見に行こうと思います。
それでは、失礼します。
Fin.
Cutter/黒瀬さん
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